2011年12月11日

浅田真央の母・匡子さん死去…9日早朝に

浅田選手、「今は気丈に」=父敏治さんがコメント時事通信 12月10日(土)17時50分配信

 フィギュアスケート女子の浅田真央選手(21)=中京大=の母、匡子さんが9日に死去したことを受け、父の敏治さん(53)が10日、同選手のマネジメント会社を通じ「(姉の)舞も真央も、母の安らかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、今は気丈にしています」とのコメントを発表した。
 この中で敏治さんは、葬儀について「本来なら、故人が生前お世話になった皆さまにも最後のお別れをさせていただかなければならないところ、誠に勝手ながら生前からの故人の強い希望で、葬儀は家族だけで執り行わさせていただきます」としている。

浅田真央の母・匡子さん死去…9日早朝にスポニチアネックス 12月9日(金)23時34分配信

 フィギュアスケート女子の浅田真央選手(中京大)の母、匡子さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が同日、発表した。今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していたという。48歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。

 浅田はケベックの現地時間8日早朝に容体急変の連絡を受け、グランプリ(GP)ファイナルを欠場。開催地カナダのケベックから佐藤信夫コーチとともに帰国の途に就いた。同日午後に帰国したが、間に合わなかった

最愛の母へ贈った手紙「早く良くなって。真央はスケートを頑張る」スポニチアネックス 12月10日(土)8時39分配信

 フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(21=中京大)の母・匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が発表した。48歳だった。浅田は出場予定だったGPファイナルを欠場し、開催地のカナダからこの日夕方に緊急帰国したが、最愛の母の最期をみとることはできなかった。

 スケートに打ち込む浅田を全力で支え続けた匡子さん。浅田は小学2年の時、匡子さんが体調を崩して入院すると手紙を渡した。「早く良くなってね。真央はスケートを頑張るから」――。その手紙はずっと、匡子さんの宝物だった。

 銀メダルを獲得した10年バンクーバー五輪では「誰にメダルを見せたいか」と問われると「お母さんです」と即答。それでも金メダルを逃し、泣き続けていた浅田には「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていては駄目」と諭した。

毎日送迎、車に布団も…真央を全力で支え続けた匡子さん

母親の容態急変で、グランプリファイナルを欠場し帰国した浅田真央選手
 
 フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(21=中京大)の母・匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が発表した。48歳だった。浅田は出場予定だったGPファイナルを欠場し、開催地のカナダからこの日夕方に緊急帰国したが、最愛の母の最期をみとることはできなかった。

 浅田にとって、匡子さんは唯一無二の大切な存在だ。小さな頃からスケート一色の自分を、全力でサポートしてくれた。体調を崩すまでは、毎日のようにスケート場へ車で送迎。練習環境に恵まれなかった時は、各地のリンクを5カ所も転々とし、移動の間に仮眠できるように車内には布団を積んだ。そんな支えを受け、浅田は常に恩返しの思いを込めて滑っていた。 【Go!アスリート 浅田真央】


タグ:浅田真央
posted by ぴかまま at 04:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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