2009年06月19日

「僕は悲観をしない」太宰16歳の詩やエッセー、原稿発見

「僕は悲観をしない」太宰16歳の詩やエッセー、原稿発見
2009年6月19日(金)13時23分配信 読売新聞

太宰が本名の「津島修治」になぞらえて、「辻魔羞兒」の筆名で書いた詩「試合と不平」

 19日で生誕100年を迎えた太宰治(本名・津島修治)が青森中学在学中の16歳の時に書いたとみられる原稿28枚が、同窓で同人誌仲間だった画家の故・阿部合成(ごうせい)さん(1910〜72年)の長男で陶芸家の和唐(わとう)さん(71)の都内の自宅で発見された。

 原稿は全部で4作品。「(大正)十四年七月三日」の日付、「辻魔羞兒」の筆名で「勇士は立ちぬ スックとばかり」と書き出される「試合と不平」と題された詩(3枚)、「辻魔首氏」の筆名で、芥川龍之介「侏儒の言葉」をまねたコント「侏儒になぞらひ」(1枚)、戯曲「虚勢」(21枚)、これら3作を解説した「(同)十四年十月五日」の日付のあるエッセー(3枚)が、和唐さんの母親のタンスに納められていた。「虚勢」以外は全集未収録で、太宰が中学3年の時、合成さんらと作った同人誌「星座」に書いたとみられる。

 エッセーでは、1年時に作文を褒められたが2、3年になると「慢心を起こしたのか」「カラキシ駄目になった」、それでも「僕は悲観をしない。僕にはまだ細いながらも自信があるからだ」と書く一方で、「閑(ヒマ)があれば遊ぶし、遊んだあとはつかれるし思うやうには行かない」と無邪気な悩みを吐露している。

 安藤宏・東大准教授(国文学)は、「詩が単独の作品として書かれたものは見たことがない。後の屈折した文学に至る以前の、天真爛漫(らんまん)な少年時代がうかがい知れる、極めて重要な発見」と話している。

 ◆「桜桃忌」墓前にファンの列◆ 

 太宰治が眠る東京都三鷹市下連雀の禅林寺の墓前には早朝から大勢のファンが詰めかけた。6月19日は玉川上水で入水自殺した太宰の遺体が見つかった日で、桜桃忌(おうとうき)と呼ばれる。

 午前8時頃から続々と熱心なファンが訪れ、墓前に手を合わせた。酒が好きだった太宰にと缶ビールや日本酒を供えたり、サクランボを墓石に刻まれた文字に詰めたりしていた。




タグ:太宰治
posted by ぴかまま at 17:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 太宰治
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